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初めて会った日のことは今でも覚えている。
渋谷のちょっと高めのイタリアンを食べにいったのだ。
私は自分の目の前に座る、異常に顔が整った男に緊張を隠せなくて、
動揺を誤魔化すように酒を飲んでいた。
ここまで綺麗な人と飲むのは生まれて初めてだった。
どんな人が好きなの?と言うお決まりの質問に対して、こちらもテンプレの「10個以上歳上が好き」という一言を伝えると、
「闇が深そうだね笑」
と彼は笑った。って初対面で失礼か。思い直したように彼は言うと、「なんでそうなってしまったの?」と優しく聞いて来た。
正直、私の闇など大して深くはなかった。
ただ、わかりやすく暗い過去はあった。
私には父親がいなかった。中学生の時に愛人の元に出ていってしまったのだ。
当時父は30代後半だった。そのせいか、私は今でも30代の男に執着してしまう。
そして母が狂っていくのを目の前で見ていたため、何があっても自分は不倫だけはしまい、と心に誓っていた。
14歳の中学生が、母親が狂っていくのを目の前で見ていく。今思えば、地獄のような年月だった。
だがしかし、その程度の過去だった。誰しも一つや二つ、ある話でしょう?
ワイングラスを回しながら淡々と自分の過去を話す私を見て、
「そういうのを闇が深いっていうんだよ」と彼は微笑んだ。
夏が過ぎて、
秋が過ぎて、
冬が来て。
もうすぐ春。
男との関わりが生活の一部になっていた。
お互い干渉しない性格のくせにマメなのが幸いして、連絡が途切れることはなかった。
大学に行きたくない。
痩せたい。
将来が不安。
友達がさ。
この間こんなことがあってね。
馬鹿みたいに日常生活を報告していた。
男は飽きずに聞いてくれたし、私も男の日常を聞いていた。
たまに会って、体を重ねて、時に友達のようにバカな遊びをしたり、ただ談笑して別れた夜もあった。
「この関係性に名前をつけるのはやめよう」
どちらが言い出したかわからなかったが、それが私たち二人の暗黙のルールだった。
「これ、会社で使ってる公用の写真なんだけどさ、どう?」
ピロートークで会社で使用しているプロフィール写真を見せられた時、会社名とフルネームを初めて知った。
「かっこいいんじゃないかな」
適当なことを言って起きながら、頭の中で必死にフルネームの漢字の綴りと会社名を反復した。
結局、干渉しない、なんて格好つけたことを言っていても、自分を一時的に愛してくれる男の素性は気になるものだ。
もしかしたらこの時にはもう、男をただの「友達」として見れていなかったのかもしれない。
中学時代の友達と渋谷でカラオケオールして、深夜1時、途中、自分だけ抜けて男に会いに行った夜、誰に対してかわからない罪悪感で叫び出しそうだった。
そんな自分が嫌いじゃなかった。
また一歩、大人になれた気がした。
待ち合わせしたドン・キホーテでのキス。
見られてもいいパブリックな関係なのかという錯覚が気持ちよかった。
この人に出会えて良かった。
今まで何度もそう思った。
名前を検索したのはちょっとした出来心からだった。
自分の知らない彼の何かがあるのかも。
2018年を生きる女子大生にとって、エゴサーチは当然の行為だった。むしろ、検索をかけるのが遅いくらいだった。
そこで、気づいた。
彼は、
彼には、
奥さんと、子供がいた。
あぁ、なんで。
意味がわからなかった。
絶対に、不倫だけはしまいと決めていたのに。
私は、
しないと、
決めていたのに。
何度お前と愛し合ったと思ってるんだ。
人生を狂わされた気がした。
私が決めた軸を、勝手に揺るがせやがって。
自分が絶対に超えてはいけない一線を超えてしまったと気づいた瞬間、押し隠していた彼への気持ちに気づいた。
実は、
多分、
好きだった。
笑うと目尻に皺ができるところも、
生粋の関西弁も、
身長が高いところも、
強がっているけど本当は寂しがり屋なところも、
私以上に歪んでいるところも、
全部ひっくるめて、大好きだった。
そして皮肉なことに、
その、彼は、
絶対に私のものにはならない。
気持ちが抑えられないくらい愛し合ってから、私は全てに気がづいた。
…あぁ、いや、違う。
ごめんなさい。嘘をつきました。
ごめんなさい。
本当は、違う。
初めて関係を持った夜。
相手がシャワーを浴びている間、
とっさにテーブルに置いてある財布の中の免許証を見た。
名字も住所も知らない男に抱かれるわけにはいかない。それは一種の防衛反応だった。念のために写真も撮った。
次の日の朝には名前を検索した。
その時から、
全部、全部、全部、全部、
本当は知っていた。
初めから、全部知っていた。
なぜか家の場所を言いたがらないこと。
なぜか土日だけLINEの返信が途切れること。
なぜか仕事と言って朝4時には一人で帰ってしまうところ。
全部全部、ほんとうは、知ってた。
ごめんなさい。
知った上で、ずっと離れられなかった。
一目惚れでした。
好きでした。
ごめんなさい。
ごめんなさい、7年前の、裏切られた母の手を握って、寝ている私。
ごめんなさい。ごめんなさい。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
もう、ちゃんと、卒業します。
不倫は、何も、生まない。
誰も幸せになれない。
誰も、幸せになれないんですよ。ねぇ。
わかっていたのに。
きっと、誰よりも、わかっていたはずなのに。
交通事故と同じで、いざ自分がその身になってみると、身動きが取れない。
今、不倫している人たちに向けて、
やめたほうがいいとか、そんなこと言う気はさらさらない。
そんなこと言う権利すらないです。
でも、これだけは言える。
幸せになりたかったら、
自分を一番愛してくれる人と一緒になったほうがいい。
二番目なんて、二番目で、あなたのいいところだけ相手に吸わせて
そんなの、勿体なさすぎる。
私は一番愛されるために生まれてきたのに、
どうかお願いだから、目を覚ましてと言いたい。
あなたは、
わたしは、
きっと知らないんだろうけど、
一番に愛される喜びは、
二番目に愛される、比じゃない。
どうか、どうか。
愛されてください。
泣かないで。
大丈夫、所詮恋愛。あなたもわたしも強いから、大丈夫。
ほら、割り切ったふりなんてしなくていい。
割り切らなくたって、愛されること、そろそろ気づいたほうがいい。
ねぇ。
今ならまだ、戻れるよ、
ね。
きっと。
大丈夫。
私が、約束するから。
ね。
ーxxxー
※この物語は、全て、フィクションです。